日常
12月に行われた二つの合唱団のチャリティコンサートを無事終えることができた。善意の募金を寄せてくださった方々に,心から感謝している。本業も合唱も大忙しの日々であったためか,燃え尽き症候群に近いような数日。ようやく日常を取り戻した気分である。
充実感に満たされる一方で,マスメディアを通じてやり切れないようなニュースの数々。一体,この国はどうなってしまったのだろう。経済活動という名の下に,人間がこれほどまでに軽んじられる。まさに主客転倒と言わざるを得ない状況である。人間が生きて暮らしていくと言うことと,会社の存続。はじめから比べようもないはずのことが,全く逆に動いているとしか思えない。
人間はかつて,自分とその家族が数日間を生きるために必要な食物を得て,それを十分なものとして生きていた。「必要以上のものを採らない」ということが,地球そのものと人間が共生するための知恵であった。
先進国と発展途上国。その概念が生まれたのはいつ,どこでなのだろう。力の強い者が優位に立ち,力の弱い者を支配下に置く。そんな中で「私たちは先進の国」「おまえ達は発展途上の国」という意識が生まれてきたのではないだろうか。
ポリネシアのある島の長が言う。「白人達は,私たちの島に来て,粗末な家に住んでいるという。しかし,私たちの家は,この島の自然環境の中ではぐくまれてきたものだ。白人が住んでいる家をこの島に持ってくることが,優れているのだろうか。私たちはこの家がこの島には最も適していると思う。」
先進国という国が行ってきたことは,そんなことでしかなかったのではないだろうか。大量生産と大量消費,そして拡大し続ける経済活動によって,先進国が残してきたことは「地球の破壊」だけであったようにすら思える。
そんな「経済活動」の中で,人間が生存権を脅かされている。会社の存続と一人の人間の暮らしを比べたときに,ひとりの人間の暮らしの方が大切。少なくとも私はそう考えることが正しいと信じて生きてきた。それは今も変わらない。会社が危機に立ったとき,それを支えてきたのはいつも末端の社員である。給料を減らしてでも仲間を思いやり,さらには共に「会社のため」を思って汗水流してきた。その力がこの国を支えてきたのではないのか。年末年始になると,支え合って新しい年を迎えられるようににてきた。それがこの国の素晴らしい伝統であり文化であったのではないか。少なくとも,年末を控えた師走に,賃金も住まいも奪うようなことをすれば,かつては経営者が社会からスポイルされる。そういう正義がこの国にはあった。
マスコミの皆さんよ。これまで政治家や犯罪者を極限まで追い詰めてきたその舌鋒で,心ない経営者たちを追い詰めてみてはどうだろう。それとも,彼らはスポンサーだから手加減をするのだろうか。
私の日常に変化はない。家族が笑顔で毎日を過ごしている。アメリカ経済が危機的状況であることも,日本経済がその大きな影響を受けていることも,円高であることも,株価が下落していることも,家族の生活に影響してはいない。それが大きな影響を受けるような構造を作ってきたのは,誰なのだろう。この国の素晴らしい文化が「経済」の名の下に破壊されようとしている。そろそろそのことに気づかなければ,日本の中に息づいてきた良き「日常」はもとより,国そのものが立ちゆかなくなるように思えてならない。
互いの文化を尊重し,認め合う。2009年を,そのスタートの年にしたいものだ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント