2010年3月22日 (月)

Winter Concert ACC編

 旭川市大雪クリスタルホール音楽堂は、毎年この時期に音楽堂で無料コンサートを開催してくれる。入場無料に加え、出演も無料。今年で確か7年目になる。市内のアマチュア音楽家、団体などから希望を募り、独唱や独奏から中規模アンサンブルまで、様々なアマチュア演奏家が出演する。
 旭川室内合唱団(ACC)も「いつかこのホールでコンサートを」と夢見て、過去数回出演してきた。しかし、今回は10月にこの音楽堂でのコンサートを控えての出演であった。
 現在取り組んでいるのは、林光先生の合唱劇「鼠たちの伝説」である。公募メンバーを加えて45名で練習を続けている。本番と同じステージでの演奏・上演は、今後の練習の方向性や課題を見いだすのにも大きな意味を持っていた。

 前日のリハーサルは30分間。上演時間が約20分で、演技や動きを伴うためステージ上での位置決め等の確認が必要。主催者側にリハの時間延長をお願いしたが「不公平」という理由で却下されてしまった。それなら、ということで30分でのリハーサル。練習会場とは奥行きや幅が異なるので、あらかじめ練習してきた動きや形を、大きめに組み替える必要があった。歌の一部分をカットしながら時間を生み出し、実際に声を出して響きを確認しながらのリハーサル。なんとか30分で終了できた。
 通常の合唱演奏ならば、響きの状態を確認したり、曲の練習をしたりのリハーサルだが、何せこのメンバーで初の合唱劇。ステージ上で演技をしながら歌うのはほとんど全員が初めてのこと。歌の出が乱れたり、台詞がばらついたり。そのひとつひとつが今後の課題になっていく。

 当日午前のゲネプロを経て午後の本番へ。初めてづくしのメンバーには、少し厳しい言葉も投げかけた。ダメ出しも一カ所や二カ所ではない。本番直前ぎりぎりまでメンバー同士の確認が行われていた。そう。自分たちで確認していけるようになることが最も重要。そういう流れができてきていることはすばらしい。良い舞台にしたいという思いの表れなのだ。「練習は、最後まで厳しくやりましょう。でも、本番は心から楽しみましょう。」という私の言葉に、全員の表情がフワッと明るくなった。

 本番はとにかく楽しそうだった。いくつかの失敗もあったが、それは今後の練習への課題として解決できればいい。何よりも、メンバーが「演技しながら歌う」ことにおもしろさを感じ始めた様子。実は表現者として、面白さを知ることが今後に大きな弾みとなる。10月に向けて、楽しみが増えた。

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2010年3月 2日 (火)

流浪の民

 少人数だが理想的なパートバランスの合唱団のために,新たに取り組む曲を探していた。年齢層が幅広いこと。技術的,音楽的に高みを目指す団体ではないこと。そんな実態を考慮して楽譜を開いていたら,シューマンが作曲した「流浪の民」の楽譜が目にとまった。30年ほど前には小学校の音楽の教科書に,鑑賞教材として掲載されていたこともある曲。短い曲ながら和声的な部分,対旋律が重なり合う部分,独唱,重唱など,実に多くの要素が盛り込まれた曲である。あるいは,そんなところから当時の文部省が教材にしていたのかもしれない。
 私にとっては30年前に歌い手として幾度か歌った曲である。学校への訪問演奏などで歌うことが多く,ピンチヒッターで独唱部分を担当したこともあった。また,大学時代に混声カルテットを組んで勉強していたときには,原語での合唱に挑戦したこともあった。ページが茶色く変色した楽譜を見ながら,少しばかり思い出に浸っていたのだが,「まてよ。最近,こういう曲を耳にすることがないな」と思い立ち,早速取り組んでいただくことにした。

 手元の楽譜が原典版ではなかったためネットで探したところ,著作権が切れているのでドイツ語版を発見。Finale(浄書ソフト)のファイルであったため,ドイツ語部分を日本語の訳詞に書き換え,メンバーの皆さんに楽譜をお渡しした。
 新しい曲がどんどん生まれていることは知っているが,こうした古典的な名曲が再評価されて,多くの合唱団によって演奏されないものかと思う。国内はもちろん,海外の作品にも,大曲ではなくて魅力的で,しかも音楽の土台とも言える部分を学ばせてくれる曲がたくさんある。おまけに,著作権が切れているから,今回の私のようにネット上で楽譜が発見できることもある。
 久しぶりのシューマン。練習するメンバーの評判によっては,他の団体でも取り組んでみようかと思っている。

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2010年2月21日 (日)

芸術家集団誕生

 日曜日の練習は10月の公演まで「鼠たちの伝説」オンリー。現在は、3月14日(日)に旭川市大雪クリスタルホールの企画で行われる「ウィンターコンサート」への出演に向けた練習である。ウィンターコンサートは、音楽専用ホールとして評価の高い旭川市音楽堂に、アマチュア音楽家を無料で出演させてくれるお得な企画である。
 さて、合唱劇「鼠たちの伝説」の一部を、本番と同じステージで演奏できる絶好の機会なので、この先の練習も見通して、いくつかの試みを考えている。もちろん、歌に合わせた演技も予定している。そのため、練習の中には演技を想定した練習も少しずつ加えるようにしている。
 今日は、広い床の空間をキャンバスに見立てて、メンバーが一人ずつそこに歩いて行って立つ、という表現に挑戦した。練習会場にロフトがあるため、全員がロフト部分から床全体を眺め、一人ずつ階段から床へ下りていって「ここ」と感じた場所に立つ。私はキャンバス空間をはずれてメンバーの皆さんを遠くから拝見していた。
 ロフトから床を見下ろしている方々の目が、3〜4分で変わり始めたのがわかった。ほとんど全員が首を右に傾け、床空間にできあがっていく人間による抽象画に見入っている。しかも、「どこに自分が立てば素敵な空間になるか」をイメージしている。こういうことに脳が働き始めた方は、同じ目の輝き方をする。そして、左目を使うために頭を右に傾ける。そう。右脳が働いているのだ。つまり、感覚脳・音楽脳とも呼ばれる右脳が、お一人お一人を芸術家にしている。それを客観的に見ていると、何か不思議な感動を覚えた。
 全員が床に立ったところで数曲を歌ってみると、とても柔らかな響きが会場いっぱいに広がった。おそらく、右脳の状態が変化したことが影響しているのだろう。そういう感覚を開いていくことで、劇の流れを考え、それを感覚的に感じ取って表現していく糸口が見えてくるはず。残された3回ほどの練習の中で、たくさんの試みを織り込もうと考えている。

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2010年2月11日 (木)

総会

 夜に総会を控えていた。が、午後から市内のデイケアセンターで訪問演奏をさせていただいた。このケアセンターには3度目の訪問。昨年、一昨年のことも覚えていてくださった方も数名。嬉しいものだ。

 この合唱団は創立の時に「演奏活動による社会貢献」を活動の柱の一つにした。病院や老人福祉施設等での演奏を企画し、ユニセフチャリティコンサートも毎年無料で開催している。初めてのチャリティコンサートの時はコンサート開催のための経費が足りず、コンサート費を別途徴収しての開催だった。ケータリングはすべてだ人の手作りで自前。要するに「手弁当」のチャリティコンサートだった。そんな頃のことを覚えているメンバーも少なくなった。でも、手弁当で自腹を切っても、「途上国の子供に」と募金をしてくださることや、自分たちの演奏のために足を運んでくださること、そのことが嬉しかった。その感動は、今でも忘れていない。
 組織が整ってくると、様々なことがきれいに整えられていく。と同時に、原点すなわち初心が忘れられていく。総会の中である方が「募金をユニセフに全部やらなくたって、必要経費くらいは…」とおっしゃる。まず、「やらなくたって」の「やる」という言葉の感覚に違和感を感じる。また、同じ方が「臨時の練習が多くないか。決められた練習でできることをやろう。」とおっしゃる。数名の方が「私たちが練習の不足を感じたからやったこと…」と理解を求める。実は、臨時練習が必要になったのは、「多くないか」とおっしゃった方と、そのパートの練習進度が他パートに大きく遅れ、そのためにやむなく計画されたものだった。それは、合唱団の問題ではなく、自分の問題であることに気づかねばならないだろう。

 ひとつの組織の一員として活動するとき、我々はその組織が歩もうとしている道とその方向を知らなければならない。と同時に、その過去の歩みについても。その国の歴史を知らずに未来を語る者の言葉に耳を傾ける人はいない。そして、その組織の一員として自分がどのような責任を果たし、どのような努力を求められているかを知り、実行しなければならない。組織全体で何かを創り出そうとするときに、自分個人に与えられたパーツを期日までに完成しておかなければ、単に迷惑な人でしかない。

 先日観た富良野Groupの「谷は眠っていた」の公演後に、ある同僚が「生徒たちはどんな風に感じ取ったんでしょうね」と聞いてきた。私は正直に答えた。「中学生でも、引率してきていた教師、つまり大人でも、問題意識を持っていない人間は、何を観ても気づかないよ。」

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2010年2月 9日 (火)

練習は、お休み

 火曜日が定期練習日の合唱団が練習お休み。練習会場がホールのステージという恵まれた合唱団だが、今夜はそのステージで倉本聰さん作の「谷は眠っていた」の公演がある。観劇に行かれる団員さんも多いため、お休みになった。
 実は、今日の「谷は眠っていた」は午後と夜の2公演。午後は中高生向けの芸術鑑賞として。夜は一般向けの有料講演。幸い、午後の公演を我が中学校の全校生徒とともに堪能した。
 このホールでは過去にも倉本先生の作品が上演されていて、私も4本目の倉本作品だった。これまで観てきた倉本作品は、社会の問題を正面から扱ったものが多かった。そういう視点は嫌いではないのだが、見終わった後で作者からお説教を食らったような感覚があった。そういうことが繰り返されていたから、今回の作品もある程度の覚悟をしていたのだが・・・。

 富良野塾の黎明期を中心にして描いた物語は、夢や希望を胸に富良野に集まってきた若者たちの「こんなはずじゃなかった日々」を連ねていく。役者や脚本家を目指して集まったのに、生活することをゼロからやり直していかなければならない。そんな若者たちの葛藤を描きつつ、彼らが自分でその意味をつかみ取っていく姿がストレートに表現される。
 役者や脚本家になることは、まず「人間として確かに生きていること」なのだという強いメッセージは、とても共感できる。私も音楽表現をしていく中で、同じようなことを感じることが多い。人間が生き物として生きている実感を得ていないと、音楽でも芝居でも、本物の表現は出てこないということ。その通りなのだ。
 練習は、お休みだった。しかし、少し感覚が鈍くなりかけていた私自身の中で、目が開かれるような感覚があった。良い作品だった。

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2010年2月 8日 (月)

3度目の「風紋」

 T町の合唱団で昨年末から取り組み始めたのが、混声合唱組曲「風紋」。石井歓先生の古典的名曲である。無伴奏組曲なので気軽に取り組めるものではないが、私自身が昔から大好きなこともあって、私にとって3度目の「風紋」となる。
 昨年末から譜読みに入り、第3章は何とか最後まで通るようになった。そこで、2月からは第1章の譜読みへと進んでいる。第3章「おやすみ砂丘」を気に入っていただいたようなので、いよいよ本丸攻めに入ったとでも言うべきか。なにしろ、初めて演奏録音を聞いていただいたときは、メンバー全員が「無理」という顔をなさった。それを「なんとかできそう」と思っていただき、さらには「この曲、おもしろそう」とならなければ、練習のモチベーションは上昇してこない。

 定刻に練習会場に到着すると、自主的に体操を終えられている。早速、横隔膜を動かす発声から入り、無伴奏曲に取り組むことも意識して「ンゴンゴ発声」で響きを意識していただく。今夜は寒さも一段落だったせいか、声の状態がいつもに増して良好。先週取り組んだ第1章の冒頭部分のおさらいをして、新たな部分へと入っていった。
 冒頭のスローテンポの部分を、無伴奏のまま何とか歌えるようにしたいと思っていたので、終わりの30分ほどを使って声だけで合わせていった。やはり転調部分の音程が不安定になる。曲そのものに慣れていないことが原因。あせらずにいくしかない。なにせ、この合唱団が「風紋」に取り組めるようになったこと自体が奇跡的なことなのだから。もう一度、音楽や合唱の基本に戻って確かめる練習を組み込んでいく必要がありそうだ。平均年齢は還暦をこえている。定着に時間がかかるのは当然だ。私自身がそのことを忘れかけてしまう。気をつけなければ。

 方法を誤らなければ、ほとんどの合唱団は上手になっていくのだと思う。この合唱団が何よりの証明。それができるかでいないかを握るのは、指揮者自身。目の前の合唱団が私自身の指揮者としての力を私に思い知らせるのだ。練習に向かうための準備の大切さを改めて思う。

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音楽的集中

 いつものように私の生伴奏でラジオ体操。その後、ペアになっていただくと「今日は何をするの?」という眼差しがこちらに向けられる。それもそのはず、A合唱団では合唱劇の上演に向けて、様々なワークショップ(WS)形式の練習を取り入れている。それが音楽WSの場合もあるし、演劇WSの場合もある。その楽しさがわかっているメンバーは、実は「待ってました」の時間でもある。
 腕の力を抜いて指先をつかんでもらい、相手に震わせてもらう。力が抜けていると実に気持ちがいい。お互いの両手を終えると、床に寝そべって両足首をつかんでもらい、全身をグネグネと振ってもらう。あちこちから「気持ちいいー」という声が聞こえる。そう、私たちはこんなにこわばった体で日常を送っている。そのことにも気づいてほしい。最後にはお互いに背中合わせになり、相手の背中を自分の背中でマッサージ。そろそろ体がポカポカしてくる頃。自席に戻っていただいて、ようやく発声練習となる。発声まで終える頃には30分ほど経過している。しかし、練習会場に漂う空気に無用な緊張感がなく、リラックスした雰囲気になっている。

 最近、こうしたアプローチの重要性を強く感じている。人と人とがアンサンブルしていくためには、相手を受容できる心の状態が不可欠であり、そのためには共通のアクティビティを通した遊び的な体験が効果的なのだ。毎週繰り返される「ペアの活動」によって、メンバーの親近感が非常に高まっているのを感じる。その親近感がそのまま「パートの響きをまとめよう」という方向へ生かされていく。繰り返し歌うメンバーに、ほんの少しのヒントを投げかけるだけで、音楽的な集中が高まっていく。もちろんそこで生み出される音楽は「現時点での最高」なのだ。
 練習の中で音楽的集中を得ることは、緊張感を伴った集中ではないかと思ってきたのだが、ここ数年は全く異なる考え方に変化してきている。よい集中を生むのはリラックスや心身の解放なのだという確信が強まっている。自分自身の指揮のあり方も、少々方向転換が必要だと思い始めている。

 今日は林光先生作曲の合唱劇「鼠たちの伝説」から数曲を練習。復習をかねて2回ずつ歌った前半の曲は、いずれも2回目の方が格段に良くなっていた。私から何も言わずに2回目が良くなるのは、とても良いあり方だと思う。合唱団が「よくなりたい」と思い続けてくださっているのだ。嬉しい。後半は最近加わったメンバーのために、以前練習しておいた2曲を練習。
 練習会場を後にするメンバーの表情が良かった。どうやら今日の練習はOK。私もさわやかな気持ちになって会場を後にした。

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2010年2月 3日 (水)

いつか見た風景

 テレビのスイッチを入れる。帰宅する時間帯も災いしてか,毎日毎日同じニュースが流れている。献金だの土地購入だの辞任だの。それも,記者が自ら情報の精度を確認したものではなく,関係筋や元○○という匿名の「誰かさん」の言葉「とされている」言葉が流れる。そこに客観的な正確さは認められない。
 この国において犯罪者扱いしても人権侵害にならないのは,唯一裁判において有罪判決を受けた被告人だけのはず。それが,「あやしい」というだけで犯罪者扱いされてしまう。小さな,不確かな情報を集めてきて「ほら,こんなにあやしいんだよ。」と言う。そして,事もあろうに「だから,きっとこんなこともしたに違いない! これは犯罪だ!」と毎日たれ流す。その同じ口で冤罪事件の不条理を語る。
 相当に強固な意志や信条を持ち合わせていなければ,いとも簡単に思考停止に陥ってしまう。あるいは,そんなことをも目的にして報道が行われているのか?と疑いたくもなる。

 こんな風景を,これまでもたくさんたくさん見聞きしてきたし,体験もしてきた。それなのに人間というものは,なぜ自分で確かめることをしないのだろう。なぜ,自分の理性と感性によって評価することをやめるのだろう。この風景が数十年前に大きな歴史的過ちへと突き進んでいった時と,同じ風景であることに気づかなければならないのに。

 不確かな,断片的な情報しか得られていないことについて,人は簡単に物語を描いてしまう。しかもそれは,真実という物語ではなく,思い込みという物語であることがほとんどだ。大勢の人間が同じように思い込んだとき,我々人間の脳はそれを真実と誤認したままに突き進んでしまう。だから,一つ一つの情報の確かさを,自分の責任において調べ上げなければ,意見を述べてはならないのだ。まして,他人の生活や命を左右するような事柄に対しては,「疑わしきは被告人の利益」を徹底しなければならない。被告として法廷に立つ以前の被疑者の段階ではなおさらである。

 政治家とお金の問題や,特定の政治家の疑惑を完全否定するわけではない。特定の政党に組みするわけでもない。が,「疑わしい」がどれほど多くの冤罪を生んできたのか。私たちは,もう少し理性を用いて情報を取捨選択していかなければならないようだ。

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2010年1月 9日 (土)

再開

 2010年がスタートして,今年の音楽活動もいよいよ再開。とは言っても,スタートを飾ったのは新年会ではあったが…。

 昨年は私の周囲で様々な事件,事故があった。中でもS合唱団団長さん,さらに大学時代の合唱団の先輩で,現在の職場でもすばらしい上司として3年間をご一緒させていただいたH氏が,いずれも急逝されたことは少なからず心の傷となった。また,妻の大けがは家族を揺るがす出来事であった。

 大きな変化は別れや事故だけではなく,新たな出会いや展開をもたらすものでもある。いくつかの新しい風,新しい流れが自分の近くで起き始めていることを感じている。

 2010年がスタートした。様々な再開がなされるが,実は再開ではなく,新たな出発なのかもしれない。

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2009年11月21日 (土)

夢を語る

 先日,ある合唱団の三役の方の来訪を受けた。午後7時から3時間ほどだったが,お仕事を終えられたあと,1時間余りも車を走らせて下さった方もいらした。合唱団のためにこんな情熱をお持ちの役員さん達を拝見して,私も指揮者のあり方について思いを新たにさせていただくことができた。

 話はほかでもない合唱団のこと。ちょうど昨年の同時期に,今後の合唱団のより良いあり方について意見交換をさせていただいた。その結果,これまでは役員が中心になって進めてきたコンサート等の企画を,メンバーの皆さんの希望によりチーム分けをして,チームごとに企画計画をすすめていただくことになった。現在練習を進めている合唱劇「鼠たちの伝説」を,公募メンバーを加えて上演すべく企画したのもプロジェクトチームの発案からだった。もうじき1年を経ようとしているこの方式に,メンバーの皆さんからの意見を頂くことも必要だろうし,反省に基づく改善も必要になってくるだろう。実態も含めた情報交換をしながら,役員さんとの共通認識を得ることができた。
 その後は,合唱団の未来に向けたビジョンについての話になった。役員さんがどんな合唱団を目指していらっしゃるのか。指揮者としてどのような見通しを持って演奏活動を考えているのか。本当にざっくばらんに話ができた。共通している点は,「メンバー一人一人が生かされる合唱」ということ。一人一人の個性が引き出され,その個性が生かされていくような演奏活動ができれば…。お互いが合唱を通して成長していきたい,との思いは変わらない。
 話は脱線も含めながら,合唱曲の委嘱・初演や,客演指揮者の話にも及ぶ。無料のチャリティコンサートへの入場整理券応募が100名を越えていることから,ここ数年リピーターが増加してきていることもある。小さなチャリティコンサートとコンサートホールでのコンサートの内容を分けるという考え方もできそうだ。地域の素材を合唱によって発信するような企画もおもしろい。音楽の専門家がいて,アートの専門家が在団している。個性的な団員さん達の中には,演劇経験者や演技がお上手な方もいらっしゃる。合唱団が持っている人的な財産を生かしていくことで,お客様にも楽しんでいただける新たな合唱の姿が見えてくるようだ。

 話が進むにつれて,笑顔とキラキラした瞳があふれる話し合いになっていった。ひとつの合唱団に対して一人一人が様々な思いや期待と抱いている。自分が関わることで,新たな合唱団の姿を創り上げてみたいという思いがあふれてくる。現実には様々な解決すべき問題もあるのだが,夢を語り合うことで,問題を解決していくことに希望がみえても来る。しかも,夢のひとつひとつが実現不可能なものではなく,手を伸ばし続ければ届くところにある。話し合いという言葉に身構えていた部分もあったのだが,終わることには気持ちがワクワクしてきた。こんな話し合いをメンバー全員でできると,もっといいのかもしれない。そのことを,伝えておこうと思っている。

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